挫折と新たな挑戦。元Jリーガー多田大介がタイでサッカースクールを作るまで – シリエスポーツクラブ

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皆様の暖かいご支援のもと、シリエスポーツクラブは7周年を迎えました。この企画では、そんなシリエで働くスタッフにインタビューを実施して行きます!

記念すべき第一回目は、シリエスポーツクラブ代表の多田大介!

Jリーガーとして活躍していた多田代表はなぜ、タイでクラブ経営の道を選んだのか?
その真実に迫る内容となっています。

―本日はお時間を頂きありがとうございます。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

―まずは、改めて多田代表の経歴を教えてください。

高校を卒業後プロサッカー選手としてJリーグで13年プレーした後、タイリーグの2部でプレーしながら、シリエスポーツクラブを設立しました。引退後、シリエの経営に専念するようになり今に至ります。

―現役選手の時にシリエを設立されたんですね。大変ではなかったですか?
結構大変でした(笑)。 最初はクラブの練習が終わった後、サークルチームに所属する大人の方達向けにレッスンをしていて、その後今のように子ども達にも教えるようになりました。それも最初は不定期でしたが、半年ほどすると軌道に乗り、定期的なレッスンが行えるようになりました。

―プロのJリーガーになるまでの経緯を教えてください。
僕たちの時代は高校サッカーが強い時代で、選手権(注:高校生全国サッカー選手権)に出ないことには プロにはなれない時代
でした。僕は
中学2年の時にU-15日本代表に選ばれていて、高校の時に選手権も出場し、自分で言うのも何ですがアマチュア時代はトップを走っていた
と思います。実際、高2の時には7クラブからオファーを頂き、所属するチームを自分で選べる状況でした。

―7クラブ!その中からセレッソ大阪を選ばれたんですね。実際にプロになってみてどうでしたか?
アイデア面では目新しいものは感じなかったと言うのが正直なところでした。Jリーガーとして1、2年目は、自分と他の選手の間で決定的な違いは感じなかったですね。
ただ、どの選手もやはりスピードやフィジカルは素晴らしかったです。

―なるほど。逆に辛かった事や挫折体験はありましたか?

たくさんあります。先ほど決定的な差は感じなかったと言いましたが、プロサッカー選手として結果が出せず、自分と実力がそう変わらないように思われる選手にポジションを取られてしまったのは僕のメンタル面が原因でした。 緊張しやすくて気持ちが弱く、試合中でも「この試合に勝ったら選手達にボーナスが入るはずなのに、僕のせいで負けたら…」などと考えてしまい、
ミスがあると持ち直せないところがありました。

負けてしまうとサポーターからも辞めちまえなんて声が聞こえたりします。そこを気にしない、ミスしても淡々としてて、切り替えますと言えるある程度のふてぶてしさが、成功するためには必要だったと思います。

―キーパーは物凄いプレッシャーがかかるポジションですよね。その中でも10年以上現役を続けられたのは凄いと思います。タイに来たきっかけは何だったんですか?
30歳くらいの時ですが、当時僕はJ2で降格圏内を低迷していたFC岐阜でプレーしてました。当時岐阜はあまり強いチームでもなかったので、このチームを離れたらJリーグでプレーをするのは難しいなと思っていました。
そうした矢先、シーズン途中に知人を通してタイのクラブから声がかかりました。想像もしていなかった事ですが、この機会を逃したらこの先海外でプレーする機会はないのではと思い、挑戦を決意しました。

―そこからはトントン拍子に所属できたのですか?
それが、オファーが来たのがシーズン途中だったため、先方にはシーズン終了後(12月初旬)に行くと返答をしてたんです。




ところが、いざシーズンが終了してタイのクラブに顔を出すと、もうすでに別のキーパーが見つかったので結構ですと。衝撃でしたね。海外の洗礼を受けた形です。

ただ、やはり海外でプレーと言うのは諦めきれなかったので、それから2ヶ月間タイでプロテストを受けまくったんです。それでも中々所属クラブは見つからず、その頃にはサッカースクールの構想も固まって来ていたので、引退しようと思っていました。 
ところが、3月末にセレッソ大阪から控えGKを探しているとの連絡をもらい、その縁もありセレッソで現役を続けることにしました。
そして次の年改めて、タイの2部クラブへの所属が決まりました。

―1度古巣に戻られたのですね。Jリーグとタイリーグではどんな違いがありましたか?
僕が所属していたのは、チョンブリーFCの傘下にあるアカデミーの子達が所属するクラブでした。選手の平均年齢は16-18歳で、プロではあるもののマインドはまだまだ子どもでした。そのため、彼らの立ち振る舞いについては何度も選手やクラブスタッフと意見が衝突しましたね。

―Jリーグではあまり聞かない悩みです…。具体的にどんな事で意見の対立はありましたか?
例えば、試合に負けた時の態度です。プロとしてお金を取ってサポーターに見にきてもらっている以上、勝てなかったとしても、ピッチ内では顔を上げてしっかりとサポーターに挨拶をするべきと言うのが、僕の意見です。ところが彼らはへらへら笑っていて試合に真剣に向き合っているという事が伝わらなかった。
その事を巡って選手達と言い合いになると、監督がやってきて「ダイスケやめろ、彼ら(選手達)はまだ子どもなんだから」と言うんですよね。確かに年齢的にはまだ子どもかも知れない、だけどプロとして給料を受け取っている選手たちへ向かって、監督がそれを言ったらおしまいだろうと。

―プロ意識が大きく違ったのですね。タイリーグでは1年プレーされたとの事でしたが、引退を決めたきっかけは何でしたか?
元々、タイリーグに来たのは次のステップを見据えての事でした。元々1年で終わろうと思っていましたし、経験値のためにやっている節もありました。
ですので、引退自体は元々決めていましたが、実際にタイのクラブでプレーしたり、生活して行く中で、タイでサッカーをする子どもたちやプロサッカー選手に足りてない環境、 次のステップのための準備や課題を見つけることが出来ました。

―タイのサッカー環境を整えたいと言うのが、シリエを設立した理由ですか?
それも理由の1つですが、元々のきっかけとなったのは、タイにある日系のサッカーチームにコーチとしてお手伝いに行った事ですね。プロの選手が来てくれたと、子ども達が本当に喜んでくれたんです。 異国の地、それも必ずしも日本より練習環境が良いとは言えない中で、僕のような存在がいる事で希望を与える事ができるならば、頑張ってみる価値はあるんじゃないかと思いました。

もう1つは、タイリーグに挑戦する日本人のサポートをしたかったからです。僕がタイリーグに挑戦した時は、誰を頼ったら良いのか、どうすれば良いのか右も左も分からない状態でした。でも今はそれなりのノウハウが分かりましたし、ツテも出来ました。 スクール運営だけでなく、そういうエージェント的な仕事も今後は拡大していきたいと思っています。

―エージェントと言えば、高松さん(※エージェント事業部長:高松健太郎)の出番ですね。
はい、これまでも個人的にサポート業務はやっていましたが、スクール運営もある中でどうしても100%注力はしきれませんでした。高松は僕の中学時代のクラブチームの先輩なのですが、彼が初めて来タイしたときに会っていて、お互いの夢を語り合う中で、高松の夢であるエージェント事業をサポートさせて欲しいという事で始まったのがシリエのエージェント事業です。シリエに所属後、彼は仲介人の資格を取得し昨年は14人の日本人選手をタイのクラブに送り出すことが出来ました。

―スクール事業・エージェント事業と絶好調な気がしますが、ここに来るまではどんな苦労がありましたか?
会社を作るのが一番最初のハードルでした。タイで起業するためにはタイ人のビジネスパートナーが必要です。僕の周りでも、パートナー選びを間違えて資金を持ち逃げされたり、逆に会社が行き詰まったら姿を消されたりと言う話はよく聞きましたね。
色々悩みましたが、僕は当時の彼女(今の奥様)にパートナーになってもらいました。この人に裏切られたらもう仕方ないなと。(笑)

―奥様とは今も幸せに暮らされているので、結果オーライですね!(笑)最後に、シリエスポーツクラブの現在の状況と、今後の展望を教えてください。
最初は、個人レッスンから始めたシリエスポーツクラブでしたが、その後プロ選手がやっているサッカースクールと言う口コミが広がり、ありがたい事に現在では日本人・タイ人を含めて200人以上の生徒さんが通ってくれています。

まずスクール事業では生徒数を増やす事が目標です。今年はコロナもあり親御さんのお仕事の都合で日本に帰る生徒が居たりと、会員数は少し減ってしまいました。今は日本人生徒が全体の60~70%を締めていますが、地元のタイ人生徒も増やしていきたいと思っています。僕たちの最終的な目標はプロクラブの運営なので、そのためにも地域の人たちに愛されるスクールでありたいと考えています。

エージェント事業では、タイリーグで活躍するためにタイに来ている選手たちの受け皿になりたいと考えています。シリエでは、プロを目指す選手たちがコーチとして指導しています。子どもたちにサッカーを教える事で選手たちも学ぶ事は多いでしょうし、生活面のサポートもして行けます。もちろん、タイへ来てすぐに所属クラブが決まる選手もいますが、そうではない選手も居いるので、そういう選手達のサポートは引き続き行いたいですね。

―子どもたちも現役の選手に教えてもらえるというのは貴重な経験ですし、近い将来、プロとして活躍するコーチ達の活躍を観られた時の喜びは大きいのではないでしょうか。
そうですね。僕たちはプロクラブ化を目指していますが、【スクールがあって、トップの選手達と交流が持てる】というこの関係性は、これからも継続して行きたいと思っています。

―スクール事業・エージェント事業、そしてプロクラブ事業、それぞれ良い関係性で成り立つのがシリエスポーツクラブという事ですね。多田代表、本日はありがとうございました!
ありがとうございました。

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ここまでご紹介した多田代表へのインタビューでしたが、ボリュームが多すぎて一回では収まりきりませんでした。
次回は、多田代表とシリエスポーツクラブが目指す”タイリーグ参入”についてお話を聞いて行きたいと思います。お楽しみに!

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インタビューを受けた人
多田 大介(ただ だいすけ)​シリエスポーツクラブ代表。
高校卒業後、GKとしてセレッソ大阪などで13年間プレー。その後タイに渡り現役の選手として活動する傍らシリエスポーツクラブを設立。現在会員数は200人を超える。 タイ王国発の日本人経営によるプロクラブを運営する事を目標としている。

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インタビューをした人
三宅 芽実(みやけ めみ)

シリエスポーツクラブのIT&広報担当としてWebサイト運営・ポスター制作などを担当。将来の夢はタイでプロクラブを経営する事。合同会社Angle Inc. CEO

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